Coffee break 3: 劣等感
営業のコツの投稿も前回で60回目を迎えました。
きりの良いところですので、営業の話とは異なることをお話ししてみたいと思います。
著者自身は、長らくどうすれば人から嫌われない様に生きて行けるのか?を念頭に置いて生きてきたました。
ですが、それを続ける意義を見失いかけ、また続けることがつらくなってきた時期に、「嫌われる勇気」というタイトルの本に出会いました。
著者にとってはかなり腑に落ちた内容だったので、一部ですがかいつまんで紹介させて頂きます。
この本によれば、
われわれを苦しめるいわゆる「劣等感」は、客観的事実としての「劣等性」ではなく、どこまでいっても主観的な解釈によるものらしい。
そして、人間のすべての悩みは対人関係からくる悩みだと言い切れる。
この対人関係からくる悩みは、主観的解釈による「劣等感」から生み出されるものである。
そして、それだからこそ、自分で新たな主観的解釈を選択することで悩みを解消することが可能になる。
新たな主観的解釈を選択する勇気を持つことがその第1歩。
にわかには信じがたい、受け入れがたいのですが、読み進めていくとなるほどと思えることが多分にあると感じました。
劣等感は、主観的な思い込み
そもそも、人間には「優越性の追求」があります。
「優越性の追求」とは、向上したいと願うこと、理想の状態を追求すること。
年齢や立場を問わず目標に向かって前進している時に、そこに到達できていない自分に対して、まるで劣っているかのような感覚を抱く。
これが、「劣等感」。
一歩でも先に進もうとする、もっと幸せになろうとする限り、「劣等感」自体にはなにも問題ありません。
むしろ、健康的であり正常な努力と成長への促進剤となります。
この「劣等感」をある種の言い訳に使い始めると、「劣等感」は別の代物に変わっていきます。
「見かけの因果律」を持ち出して、自分にとって労力のかからない楽なほうを選ぶ。
本来なんらの因果関係もないところに、重大な因果関係があるかのように自らを納得させる、ように。
分かりやすい例は、「学歴が低いから、成功できないのだ」、転じて「学歴さえ高ければ成功できるのだ」という理屈です。
これは、他人の課題であるはずの、他者の考え方・評価を基準とした「劣等コンプレックス」に変わってしまっています。
外部に原因を求め、自らよりよい自分であろうと努力することを避ける生き方を変えようとしない、変える勇気を持たない。
優越コンプレックス
この劣等コンプレックスを持った状態・生き方は、たいていの場合我慢し続けることがつらくなります。
そこから、まるで自分が優れている、特別な存在であるかのように見せつけることで「権威づけ」をして偽りの優越感に浸るといった思考・行動に転じていきます。
これが「優越コンプレックス」の状態。
これは、他者の価値観、他社の人生観を生きているようなものです。
経歴詐称やブランド信仰、過去の栄光にすがる、これらもすべて優越コンプレックスの権威づけの典型です。
あるいは、不幸であることによって特別であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとします。
腫れものに触るように、大事に慎重に取り扱われるように仕向け、相手を支配しようとするのです。
このように、「自分の不幸」を武器に相手を支配しようとする、これも「優越コンプレックス」の特異なパターン。
まとめ
他者との比較や競争ではなく、理想の自分との比較から生まれるもの。
それが「健全な劣等感」。
この「健全な劣等感」を持って、いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ価値があり、それが自己受容や自立のはじまりになるはずです。
自分自身が分かっていればよい劣等感にのみ注目すべきで、他者がどう評価するのか、つまり他者の課題にわざわざ踏み込みそれに振り回されている場合ではないのです。
他者自身も、あなたの期待を満たすために生きているわけではないのですから。
今回も、最後までお読みくださり有難うございます。