社名の由来

創業の地:
高知県 香美市 片地地区(こうちけん かみし かたじちく) KATAJI

創業の生業:
鍛冶屋(かじや) KAJIYA 

 

起業に至るまで

鍛冶屋の創業

私から6世代ほど遡った明治初期に、尾立文次(おりゅう ぶんじ)という人が創業したのが鍛冶屋でした。明治維新後、富国強兵による近代化のスローガンのもと北海道でも石炭、木材、硫黄などの天然資源の需要増に合わせて鋸の需要が急速に高まりました。その流れを掴むべく、尾立文次は現在の高知県香美市の片地地区で鍛冶屋を興し、切り取った木材を運搬しやすい大きさや形にするために不可欠な山鋸(やまのこぎり)を製造していました。

山鋸([尾立寿雄(おりゅう としお)作]
ソース:村松貞次郎著「鍛冶の旅」岩波出版

祖父から父へ

時は流れ、祖父の故尾立寿雄(おりゅう としお)も鍛冶屋を継ぎ材木加工用の鋸を製造していました。(父もバイト代を稼ぐため祖父の鍛冶仕事を手伝ったこともあるそうです。)今考えると、この鍛冶屋でできた蓄えが、私が幼少期に高知に帰省した時には残念ながら感じていなかった豊かさの元になっていたようです。

第2次大戦前に生まれた父が、戦後の赤貧時代を乗り越え、母そして兄や私が食べるものに困らないよう高度経済成長の中一所懸命に働いてくれたおかげで、私は今こうして生きながらえることが出来ています。

代々先祖方々の歩んできた人生の奇跡が重なり連なりあった結果頂いた私の命。唯々、先祖の皆さまには敬意を表すると共に感謝の気持ちでいっぱいです。

鋸用刻印
ソース:村松貞次郎著「鍛冶の旅」岩波出版

起業への思い

この度の起業に至るまでに、時間をかけて人類の来し方、人間の歴史、現在の世界と日本、今の自分を振り返りました。そして、自分なりに個人のそして様々なレベルでの共同体の現状と課題を認識したつもりです。その結果、これからの世の中を生き抜いていく上での自分の人生の指針は、「『護(まも)るべきもの』のためには命をも引き換えにする覚悟でなんとしても生き抜くこと」と考えるようになりました。

私自身がたどり着いた考えは、実は誰もが大なり小なり其々の感じ方で持っている考えがあるはずだと信じています。もちろん、それに気づかずに、あるいは気づかないふりをして生きていく選択もあると思います。私としては、どう生きるかを常に自問自答しながら前に進むことができれば、よりよい共同体の未来にも繋がるはずだと考えています。

その歩みのためには、「自分らしさ」を最も発揮しやすいと考えている「営業」の代行を通してお客様にとっての成果を確実にもたらし、かつ常に私自身をもしっかりと見つめ直せる働き方として「起業」という選択肢が相応しいのではないかと考えました。

先祖の故郷土佐の国では、奈良時代から「鉄」を鍛えて鎌(かま)や鋸といった「刃物」を作り出していたと言われる鍛冶屋。先祖が興した生業(なりわい)に倣(なら)えば、創業した事業は言わば「こころの鍛冶屋」と言い換えてよいかもしれません。

これから、「こころの鍛冶屋」として、今従事している仕事に心から納得感を感じながら企業や社会で自分らしく生きていく方々を一人でも多く増やすことを当社のミッションとして事業を進めて参りたく存じます。

 

最後に、創業者への敬意と感謝の意を込めて、当時尾立文次が使用していた「片文」( 片地地区 の [片]、尾立文次 の [文] の文字を取った)という刻印を当社のロゴとして活用させて頂くこととしました。そうすることで、創業の「跡」を後世に伝えていきたいと思っております。