Coffee Break:「ベスト・キッド」- 初めて心が激しく揺さぶられた映画
営業のコツの投稿も前回で20回目を迎えました。
これから、きりの良いところで営業の話とは異なるお話しを挟んでみたいと思います。
「宇宙戦艦ヤマト」。
これが、私が映画館で見た人生最初の映画だ。確か、小学校3年生の時だった。
母と兄と3人でバスに乗っていった。
悲しくて涙したことは、なぜか覚えているが、ストーリーは思い出せない。
正義のヒーロー
時が経ち、初めて一人で映画を見に行ったのは、小学校6年生の2学期に引っ越し先の山形に住んでいる時に見たベスト・キッドだ。
この映画は、ザックリ言えば街の悪ガキに空手で勝って自分の存在を認めさせるために厳しい修行に耐え悪ガキをやっつけるというストーリー。
純粋に、悪に立ち向かう正義のヒーローが最後に悪をやっつけるいわゆるヒーローものだが、その時負けそうになりながらも諦めずに敵に立ち向かう姿勢に心を揺さぶられ涙したことをよく覚えている。
きっかけは、従弟の家にアメリカからホームステイにきていた中学生
この「ベスト・キット」以降、ウサギの穴を転げ落ちるように映画にはまっていった。
中学に入ると、「トップガン」、「プラトーン」、「ランボー」など流行ものをやたらに見ていた。
ー 余談だが、大学4年の時に見ていた「ER-緊急救命室」というドラマに出ていた主役のアンソニー・エドワーズが若き日に見た「トップガン」でトム・クルーズの相棒グース役をやっていた人だと分かった時になぜだか興奮したことをいまだに覚えている。ー
そして、高校に入っても「フルメタルジャケット」、「レインマン」、「インディージョーンズ」シリーズといった流行の代表作を見に度々映画館に通った。
調べてはいないが、おそらく80年代、90年代は映画全盛期だったのではないか。
邦画ではなく洋画に惹かれたのは、中学2年の時に従弟の家にホームステイしたアメリカ人中学生と数日の時間を過ごした事で英語がますます好きになったことと関係があるかもしれない。
予備校で哲学に出会う
その後、浪人していた91年の8月に「ターミネーター2」を、そして「風の谷のナウシカ」の漫画を見たころには、なにやら人間が住んでいる世界は随分厄介で人間そのものがよかれと思ってやったことが、物事を望ましくない方向に導く存在にもなりえることを学んだ時期だった。
また、ある時、通っていた予備校の友達から「運命」とか「脱構築」といった哲学に関する問いを理解できずなにも答えられず、圧倒されていたこともなぜか思い出される。
このころから、映画に込められた人間に対するメッセージを常に考えながら映画を見る姿勢がついたかもしれない。
映画という非現実も自分のこころの鏡?
大学に入ると、時間に余裕ができたため一人で映画を鑑賞する機会がますます増えた。
大学1年の英語の授業の時に先生から「マグノリアの花たち」、「わが街」、「素晴らしきかな、人生」を宿題として見る必要があり鑑賞した。
それまで見ていた映画のジャンルとは異なり、苦しみや悲しみに直面してもそれでも周囲に支えられて前を向いて歩いていこうとする人間模様を描いた様々な映画で想定外に喜怒哀楽を刺激されてしまった。
中でも、「マグノリアの花たち」は強く心に残った映画の1つになった。
そして、自分の弱さに目を背けてはいけないといった考えが強くなっていくと共に、「内省」する必要性を強く認識したころでもあった。
一方で、「ブラックホークダウン」「グッドモーニングベトナム」、「13デイズ」、「AKIRA」などを見る機会があり、世の中にはただ正義を振りかざし自分の立場から見た善悪で物事を見るといかんともし難い一筋縄ではいかない問題がそこら中にあることを思い知らされた。
現実に目を背けてはいけない
映画の紹介だけでも切りがないのでひとまず中断する。
映画という非現実を通して、ただ日々を生きているだけでは知りえない現実世界のリアルな一つの側面を垣間見ることが出来る(と思っている)体験は、小説の世界に没入することに似ていて現実逃避そのものであると同時に客観的に世界を見る機会を与えてくれるという意味で、自分の心を安定化させる役目を果たしてくれる貴重な時間と言えるかもしれない。
今回も、最後まで読んで下さり有難うございます。